平成元年に現在の場所に再建整備された清洲城は、趣向を凝らした映像展示や体験展示が楽しめる「清洲城天主閣」は、御殿の内部に「黒木書院」、「芸能の間」を配した「芸能文化館」、五条川に架かる赤い「大手橋」とともに、清須市のシンボルとなっております。
【→】詳しくはこちら
清洲城跡に位置する清洲公園。園内にある小山には、26歳の織田信長公が桶狭間の戦いに出陣する姿を模した銅像が建ち、桶狭間の方向を見据えています。
最近では、信長公の出世パワーにあやかることができるパワースポットとして紹介され、人気を集めています。
【→】詳しくはこちら
信長公の菩提寺として建立された総見寺、清須越しで名古屋へ。その後、尾張藩により現在地に織田家の菩堤寺として建立されました。本能寺の変の際に信長公が着用していたと言われている焼兜の他、多くの文化財を所蔵しています。
清須越しの後、清洲城跡地として保存され、幕末建立の清洲城跡顕彰碑2基や、信長公を祠る小社があります。毎年6月2日の命日には郷土の英傑を讃え、社前で「織田信長公顕彰祭」が行われています。
「きよす」の表記について
・慶長15年(1610)の「清須越」以前に登場する地名、城の名称は「清須」「清須城」として表記。
・「清須越」以降から平成17年(2005)清須市誕生以前の宿場名、町名は「清洲」と表記。
・現在の城の名称として使用する場合「清洲城」と表記。